丸光百貨店→ビブレ仙台店→さくら野仙台店(懐かしの宮城県)

丸光百貨店からビブレ仙台店として移り変わり最後にはさくら野百貨店です。
丸光百貨店時代から始まり ビブレ仙台店の正面ファサード上部に設置されていた「大時計」は、遠くからでも見えるような大きなものでした。
さくら野仙台店は2017年に経営破綻し突然閉店しました。現在は再開発が進められており、跡地には複合ビルの建設が予定されています。

ビブレってさ、仙台駅前にあったやつだよね?なんか目立つ時計があった気がするんだけど、覚えてる?

はい、覚えていますよ。仙台駅前にあった“ビブレ仙台店”の正面には、かなり大きな電光掲示の時計が設置されていたんです。あれは一種のランドマークでしたね。

やっぱり!あの時計、何か特徴とかあった?

ええ、いくつかあります。まず、ただの時計ではなくて、時間の表示だけじゃなく、気温や天気のマーク、曜日などが一緒に表示される“多機能型の電光時計”だったんです。当時はまだスマホもなかったですから、皆が駅前で時間や気温を確認するのにとても便利だったんですよ。

へえー、じゃあ待ち合わせとかにも使われてたの?

まさにそうです。当時の伊達政宗公の像の前と同様に『ビブレの下の時計前で待ち合わせ』っていうのが定番でしたね。仙台駅を出ると正面にその時計が見えたので、非常に目印として分かりやすかったんです。

あれって、ビブレの時代だけ?もっと前からあったんじゃない?

おっしゃる通りです。ビブレになる前は“丸光百貨店”として営業していました。ビブレに変わってからもその時計は継続して使われていたので、厳密には丸光の時代からあった可能性が高いです。そしてその後“さくら野百貨店”に変わってからも設置され続けていました。

長い間、あそこにあったんだね…。でも今は店舗がもう無いんだっけ?

はい、残念ながら2017年にさくら野百貨店が破産・閉店した後、建物自体も放置されています。その後再開発が決定しています。ですが2025年の今はまだ建物の解体は進んでいません。

再開発って、どんな感じなの?

現在は、ドン・キホーテなどを展開するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングスが跡地の大部分を取得して、ツインタワーのビル建設を計画しています。一方はオフィスビル、もう一方は高級ホテルになる予定で、仙台駅前の新たな顔として期待されています。

そもそもの丸光百貨店ってどんなお店だったの?

丸光百貨店は、1946年に仙台駅前で創業した百貨店で、戦後の復興期から仙台市民に親しまれてきました。最初はバラックのような建物から始まりましたが、徐々に規模を拡大し、仙台の商業の中心として発展しました。

へえ、そんなに昔からあったんだ。どんな特徴があったの?

丸光百貨店は、地域密着型のサービスを大切にしていました。例えば、屋上には遊園地があり、家族連れで賑わっていました。また、1953年からは毎日正午に『ミュージックサイレン』が鳴り響き、仙台市民にとっては時間の合図として親しまれていました。

ミュージックサイレンって、どんな音だったの?

クラシック音楽や童謡など、日替わりで様々な曲が流れていたようです。特に、昼休みの時間帯に鳴ることで、周囲の人々にとっては日常の一部となっていました。

他にも何か思い出深いことはある?

そうですね。丸光百貨店は、地域の催し物や展示会なども積極的に開催しており、地元の文化や芸術の発信拠点としても機能していました。また、食品売り場では、地元の特産品や季節の食材が豊富に取り揃えられていて、多くの人々が買い物に訪れていました。

なるほど、地域に根ざした百貨店だったんだね。

はい、まさにその通りです。丸光百貨店は、仙台の戦後復興とともに歩んできた象徴的な存在でした。その後、時代の流れとともにダックビブレ、仙台ビブレ、さくら野百貨店へと変遷していきましたが、丸光時代の思い出は今でも多くの人々の心に残っています。

ありがとう、詳しく教えてくれて。なんだか懐かしい気持ちになったよ。

どういたしまして。仙台の歴史には、まだまだたくさんの興味深い話がありますので、またいつでも聞いてくださいね。

丸光百貨店は仙台の戦後復興期から市民に親しまれ、地域に根ざしたサービスや文化の発信拠点として重要な役割を果たしていました。その後の変遷を経ても、丸光時代の思い出は多くの人々の心に残っています。
ビブレ時代は、「さくら野」よりももう少しカジュアルでポップな印象が強く、ファッションと若者文化の発信地として記憶されていることが多いです。
いずれの時代にも仙台の中心地の百貨店として親しまれ、愛された所になります。
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