支倉常長(歴史 人物)
支倉常長と言えば 支倉焼の人?
違うとも言い難いですが 違います
伊達政宗公の指示で サン・ファン・バウチスタ号にて旅立ち ローマ教皇まで謁見し 貴族の位を頂いた方になります
そんなすごい人がいたの?
はい 支倉常長は1613年 サン・ファン・バウチスタ号にて石巻 月ノ浦を出帆しました 先ほど話した通り 1615年 ローマ教皇への謁見を行い 貴族の位を認められています
そんな人が歴史のページに埋もれちゃっている訳はなんで?
そんなでっかい内容なら 教科書でも大々的に取り上げられるよね?
日本では丁度 その頃からキリスト教への弾圧が始まっていました
それが海外まで伝わることで 常長の目的の一つだった通商を結ぶことができなかったんです
1620年に帰国した常長は2年後失意のうちに亡くなられています
そっか そんなお話だったんだね
そんな支倉常長が帰国した際に持ち帰ったものが 仙台市博物館に所蔵されています
博物館は今大規模改修を行っており 令和6年 4月に再開予定です
そう聞くとすぐに見たいなあ
そんな支倉常長ですが サン・ファン・バウチスタ号で海を渡る1年前にサン・セバスチャン号で失敗しているんですよね…
前の旅は↓