資福寺(仙台市 青葉区)

資福寺は紫陽花の名所として知られ、その美しさと禅の教えが調和する空間です。
虎哉宋乙は伊達政宗の師であり、政宗を通じて資福寺を含む北山五山に影響を与えました。
紫陽花の移ろう色は、禅が説く「無常」や「調和」の象徴として今も人々の心を打っています。

この前、北山にある資福寺に行ってきたんだけどさ、すごかった。紫陽花が一面に咲いてて、まるで別世界。あれって、いつからそんな有名になったの?

資福寺が「紫陽花寺」として知られるようになったのは比較的最近のことです。ですが、紫陽花が映し出す静かな美しさと、資福寺の持つ禅の精神が合わさって、多くの人の心に響くようになったんですね。

そうなんだ。でもお寺と紫陽花って、そんなに相性いいものなの?あんなにカラフルなのに、なんか不思議な感じしたんだよね。

それはよい感性です。紫陽花は、その土壌の酸度によって花の色が変わる植物です。青から赤、そして紫へと変化する姿は、まさに、環境に応じて姿を変えながらも、自らを失わないそんな心を感じ入ることができます。

へえ、てっきり観光向けに植えたのかと思ってたよ。

確かに、現在の紫陽花の植栽は参拝者の癒しや季節の彩りを目的としていますが、その奥には、このお寺の歩んできた歴史や人物の影響があります。特に、虎哉宋乙という高僧の存在が重要です。

その名前、どこかで聞いたような……あ、伊達政宗公の師匠だよね?

その通りです。虎哉宋乙は戦国末から江戸初期にかけて活躍した臨済宗の禅僧で、若き政宗公の精神的な指導者でした。彼の教えは、政宗公の人格形成だけでなく、仙台の宗教文化にも深く根ざしています。

でもさ、資福寺って虎哉宋乙が建てたわけじゃないんでしょ?それなのに、どうして彼と関係があるの?

とても良い質問です。虎哉宋乙は伊達政宗公の 父輝宗公が資福寺の住職として招き、伊達政宗公の師となった後は政宗公と共に岩出山、仙台へと移動をした事でも知られています

なんかすごい話だなあ。花を見て、歴史の重みを感じるなんて思わなかったよ。

歴史というのは、何か特別なものではなく、今の風景に静かに息づいているものです。資福寺を訪れる人々が心を落ち着かせることができるのは、そこに虎哉宋乙を含めた人たちの精神が今も生きているからでしょう。

そっか。じゃあ、来年もまた見に行こうかな、資福寺の紫陽花。ちょっとだけ、違う気持ちで見られそうな気がする。

それはとても素敵なことです。同じ花でも、心が変われば見え方も変わりますよ

資福寺に行くなら北仙台駅からだけど 少し歩くから熱中症に気を付けてね

前の旅は↓ここだよ

Follow me!