東日本大震災 震災遺構 防災対策庁舎(宮城県 南三陸町)

南三陸町の防災対策庁舎は

・東日本大震災の津波でも甚大な被害を受け、震災遺構として保存されています。

・津波で40名以上の職員が命を落とし、その記憶を後世に伝えるために保存されています。

南三陸町の防災対策庁舎って震災遺構なんでしょ?

はい、南三陸町の防災庁舎は、東日本大震災対策の際に津波の被害を受けた建物で、震災遺構として保存されています。

震災の時、ここでは何があったの?

東日本大震災が発生した際、防災庁舎では町の職員の方々が災害対応をしていました。しかし、津波の高さが想定をはるかに超え、建物の3階までのみこまれてしまいました。その結果、庁舎にいた人のうち40名ほどの方が津波にのまれてしまうという大変悲しい出来事となりました。

うわぁ……でも、どうして庁舎はそのまま残っているの?そんな被害のあった場所ならって思う人もいるんじゃないかな?

震災後、この庁舎を保存するかどうかについて、南三陸町と宮城県で議論になりました。 一部では解体を求める声もありましたが、震災の記憶を後世に伝えるために、最終的には震災遺構として残すことが決まりました。

なるほどね。今は見学とかできるの?

はい、現在は震災遺構として一般公開されており、多くの方が訪問しています。訪問の際は、南三陸町の公式サイトなどで最新の情報を確認されることをおすすめします。

そっか。やっぱり現地に行って、自分の目で見て感じることが大事だよね。教えてくれてありがとう!

最後まで町民に避難を呼びかけた職員さん。その人が助けた命が今輝いている事を信じて

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