虎哉宋乙(伊達政宗の師)
1530~1611
虎哉宋乙(こさいそういつ)は伊達政宗公の勉学の師だよ そんな虎哉宋乙について旅してみよう
伊達政宗公の師匠?
伊達政宗公の父である輝宗公はもともと美濃の出身であり その伝手を使い 禅宗の中で優れた僧として知られていた虎哉宋乙を学問の師として呼びました
どんなことを学んだのかな?
伊達政宗公に中国の李克用という武将を教え 片目の武将でありながら勇ましく戦い「独眼竜」と呼ばれたという話をしたとされています
伊達政宗公は家臣共々黒の具足を身に着けていたことが知られていますがこの黒という色が李克用の部隊の色であり 政宗公が早くから龍の字を含む印を用いていたのもこれに関係するといわれています
独眼竜って伊達政宗公だけじゃないんだ⁉
虎哉宋乙は北山五山の紫陽花寺で知られる資福寺の住職であり 輝宗公の死後 輝宗公を供養するため同じく北山五山の覚範寺を開きました もともと米沢にあった寺は 政宗公の岩出山 仙台の移動と共に移動しています
影に日向に政宗公を支えた一人なんだね
政宗公との文のやり取りも多く残されており 82才で旅立たれるまで政宗公のよき師でありました
虎哉宋乙がいたから伊達政宗公の教養が深くなり 伊達者の基礎が出来上がったんだね
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